バニーとシャーフィイーの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 15:49 UTC 版)
「チャム族」の記事における「バニーとシャーフィイーの関係」の解説
ベトナム中部、ニントゥアン省・ビントゥアン省のバチャム、バニーおよび非チャムのチュルー、ラグライは、上記のアッラー信仰を持つが、バニーを除き帰依儀礼や割礼を行わない。バチャム集団では自身によるムスリム的な儀礼はほとんど行われず、バニー集団の儀礼へ参与するかたちをとる。そのバニー集団においても一般人は六信五行などのイスラム信仰実践を行うことが少なく、酒も豚肉もある程度許容され、アワンと呼ばれる宗教職能者階層だけが六信五行を比較的厳格に実行する。カンボジアには上記のように民族別人口統計は無いが宗教別人口統計があり、全人口の約1.1%がイスラムで、これがほぼカンボジア・チャムに相当し(含む、ムラユとチャヴァクー)、うち、90%がシャーフィイー、10%がバニー(カン・イマム・サン)と考えられている。ベトナムでは、トゥアンフォーによる宗教改革の約200年後、1960~70年代のパンラン、パリク(ニントゥアン省・ビントゥアン省)で、外部から来たチャムや外部と接触してシャーフィイーにもどったチャムにより、再びバニーからシャーフィイーへの改宗運動が行われて、一定数の信者を獲得した(バチャムに対しては改宗運動は行われなかった)。パンラン、パリクの多くの集落で、バニーの聖堂とシャーフィイーの聖堂は別個に存在し、両方の信者たち(その多くは本来は親戚同士である)の関係は緊張状態にある。カンボジアでは、激しい宗教弾圧を行った民主カンボジアのポル・ポト(クメール・ルージュ)政権下で多くのチャムが虐殺されたが、犠牲になったチャムは多数派シャーフィイーであり、少数派バニー(今のカンイマムサン)の人々は不信心者と見なされて、虐殺を免れたといわれる。
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