バシリカとクリプト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/20 22:25 UTC 版)
「パンノンハルマの大修道院」の記事における「バシリカとクリプト」の解説
初期ゴシック様式の傑作であるパンノンハルマの修道院付属聖堂は、13世紀初頭、ウロス大修道院長(Abbot Uros)の時代に建てられたもので、おそらく1224年に献堂されたものである。バシリカ西端地下の調査での発見されたものは11世紀に遡る。バシリカで現在見ることが出来る最古の区画は、南の側廊の壁である。12世紀に遡るその壁は、ダヴィド大修道院長(Abbot Dávid)の時代に当たる1137年に献堂された2つ目の聖堂の名残である。 聖具室での発掘調査によって、2つの閉じ込められた門が発見された。その一つは、おそらくはダヴィド大修道院長時代の聖堂の北の入り口に当っていたもので、もう一つはウロス大修道院長時代の聖堂の入り口だったものだろう。聖餐台と内陣の間の地下からは、おそらくはウロス大修道院長のものと思われる墓も見つかっている。 聖堂はマーチャーシュ王の時代に拡張された。今日の内陣の天井、側廊の東端、聖ベネディクトゥス礼拝堂などもそのときのものである。オスマン帝国に支配されていたときに調度品のほとんどは破壊された。その支配の後の最も重要な修繕は、1720年代にBenedek Sajghó大修道院長のもとで行われたものである。聖堂の大改修の最後に当たるのは1860年代のFerenc Stornoによるもので、この時に中心の聖餐台、説教壇、天井のフレスコ画、聖マルティヌスを描いた上段のステンドグラスなどが加えられた。
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