バウツェン刑務所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:08 UTC 版)
1904年、市域の北端にバウツェン刑務所が設けられた。第一次世界大戦中はフランス・ロシア・イギリスからの戦時俘虜が収容されている。戦後は通常の刑務所に戻ったが、ナチ党政権下では強制収容所に転用され、政治犯やエホバの証人信者・ユダヤ人・ソルブ人など、敵対勢力と目された収容者たちが軍需工場での強制労働に従事した。一例として、エルンスト・テールマンはブーヘンヴァルト強制収容所に移される前には、バウツェンに収容されていた。ドイツ敗戦後は当初ソ連NKDVの政治犯収容所「第4特別収容所」として、1950年代に東ドイツへ返還されて以降は重犯者・長期受刑者、あるいは「改善の意思が無い」と判断された受刑者を対象とする刑務所として存続した。バウツェン刑務所はドイツ再統一にともない1992年に閉鎖され、翌年からバウツェン記念館(Gedenkstätte Bautzen)として一般公開されている。
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