バイラムズフォードの戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/13 02:31 UTC 版)
「ウェストポートの戦い」の記事における「バイラムズフォードの戦闘」の解説
マーマデューク師団はバイラムズフォード西岸の防御を施された陣地を生かし、8時以降プレソントンの旅団のうち3個旅団に対する戦闘に耐えていた。プレソントン配下の旅団長のうちエグバート・B・ブラウン准将はその攻撃を停止し、命令不服従でプレソントンに逮捕されていた。もう1人の旅団長エドワード・F・ウィンスロー大佐が負傷し、フレデリック・ベンティーン中佐(後にリトルビッグホーンの戦いに参加して有名になった)に指揮を引き継いでいた。これらの悪条件にも拘わらず、北軍の騎兵は川の西岸を取り、マーマデューク隊は後退した。ブラウン旅団(この時はジョン・F・フィリップス大佐が指揮を引き継いでいた)が川を渉ったところで、マーマデューク隊の激しい砲火に曝された。フィリップス隊は川を渉ると広い平原を横切ってマーマデューク隊に突撃を掛けた。この突撃でミズーリ州とアーカンソー州の北軍部隊が、ミズーリ州とアーカンソー州の南軍部隊と戦った。マーマデューク隊がシェルビーとファガンの部隊と合流したので、ブラントは強化された南軍にその大砲で撃ちかけた。 南軍主力が2方向から激しく攻撃される間、プレソントン配下のジョン・マクニール准将の第4の旅団がヒックマンミルズ近くの浅瀬を守るウィリアム・ルイス・キャンベルの旅団に対して移動した。マクニール旅団も南軍をその浅瀬から駆逐することができた。
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