ハンドボール部創設の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 10:24 UTC 版)
「大崎電気工業」の記事における「ハンドボール部創設の経緯」の解説
1960年当時社長であった渡邊和美は高松宮宣仁親王の随行員として各種スポーツ大会を観戦する機会に恵まれていた。高松宮宣仁親王はハンドボールとの縁が深く、渡邊和美もハンドボールの話を折に触れて聞かされていた。会社組織が整ってくるに従い、福利厚生面の充実を検討している中、高松宮の助言もあってハンドボール部創設へと踏み出すこととなった。創設された男子ハンドボール部は初出場の東京都民大会にて初優勝を飾り、決勝戦には多くの社員が駆けつけ大声援を送った。ダークホースの登場にハンドボール協会や大学の関係者は一様に驚嘆し、高校の指導者からのお祝いや入社案内についての問い合わせが殺到した。なお、優勝を記念して渡邊和美より贈呈されたユニフォームが全身赤色だったことから「赤い軍団」と称され、当時の日本スポーツ界に大きな話題を提供した。
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