ハイタワー三世失踪事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/24 01:35 UTC 版)
「ホテルハイタワー」の記事における「ハイタワー三世失踪事件」の解説
1899年12月31日、ハイタワー三世のコンゴ遠征帰還記念パーティー兼ニューイヤーパーティーが開催された。この日の昼に行われたコンゴ遠征に関する記者会見の模様-ハイタワー三世と記者の一人との会話-がレコードに録音されており、当時の様子をうかがうことができる。 ニューイヤーパーティーの途中で、ハイタワー三世は最上階にある私室に行くために一人で専用エレベーターに乗ったことが目撃されている。深夜0時にホテルの停電とともに、最上階で爆発が発生し、専用エレベーターのケーブルが切れ、落下事故が発生する。壊れたエレベーターからは先のコンゴ遠征でハイタワー三世が持ち帰った偶像「シリキ・ウトゥンドゥ」だけが発見され、ハイタワー三世本人は発見されることがなかった。 パーティーに出席したゲストの証言には、「ハイタワー三世の絶叫を聞いた」「ホテルから緑色の閃光が放たれるのを見た」といったものもある。事故の原因が判明するまで、ニューヨーク市消防署はホテルハイタワーの閉鎖を決定した。 ハイタワー三世の失踪により、ハイタワー三世の経営する会社は、いずれも衰退して行くことになる。ホテルハイタワーも例外ではなく、営業を再開することはなかった。 後に、ニューヨーク市の住民は、放置されていたこのホテルを「タワー・オブ・テラー(恐怖のホテル)」と呼ぶようになった。
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