ノートルダム清心女子大学大学院への奉職
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「保江邦夫」の記事における「ノートルダム清心女子大学大学院への奉職」の解説
スイスから帰国後、義兄の世話により東芝総合研究所の研究員となる。同社の提携先でコンピュータ研修を受けていた。仕事が合わないと感じていたときに家族に病人が出たこともあり、仕事を辞め、1982年に故郷岡山に戻る。実家近くにミッション系のノートルダム清心女子大学があったことから同校への就職を求め、スイス滞在時に交流のあったローマカトリック教会の神父に推薦状を依頼したところ、その神父が当時の教皇とポーランド人同士で個人的に親しく、保江の知らぬ間にローマ教皇庁へ推薦を依頼してくれた。その結果、ローマカトリック法王庁からノートルダム清心女子大学に直接依頼が届き、同大学院に勤務する。
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