ネオン・アントノフとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ネオン・アントノフの意味・解説 

ネオン・アントノフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/24 02:05 UTC 版)

ネオン・アントノフ
Неон Антонов
ハバロフスクにあるアントノフの墓
生誕 1907年1月6日ユリウス暦
ロシア帝国
モスクワ県
クラスコヴォロシア語版
死没 1948年10月24日
ソビエト連邦
ハバロフスク
所属組織 ソビエト連邦海軍
最終階級 少将
テンプレートを表示

ネオン・ヴァシーリエヴィチ・アントノフロシア語: Нео́н Васи́льевич Анто́нов ニオーン・ヴァスィーリェヴィチュ・アントーナフ1907年1月6日 - 1948年10月24日)は、ソビエト連邦の軍人。ソ連邦英雄。最終階級は海軍少将。

経歴

アントノフは、1907年1月19日(ユリウス暦では1月6日)にロシア帝国モスクワ県クラスコヴォ(現ロシア連邦モスクワ州リュベレツキー地区付近)で生まれた。1926年にソ連海軍へ入隊。1930年レニングラード海軍学校ロシア語版を卒業し、極東ロシア統合国家政治局の下国境警備に当たった。

1936年哨戒艇ヴォロフスキーの艦長に就いた。1941年N・G・クズネツォフ記念海軍兵学校ロシア語版を卒業したアントノフは、同年ソビエト連邦共産党に入党している。

大祖国戦争が勃発すると、1941年6月より赤旗勲章バルト艦隊砲艦大隊長として、1942年1月からは赤旗勲章バルト艦隊の参謀として従軍した。1944年8月から9月までリガの防衛を指揮。引き続きフィンランドより貸与されたポルッカラ海軍基地に移動し、終戦をそこで迎えた。戦後はアムール小艦隊ロシア語版の司令官を務めている。

1948年10月24日ハバロフスクで死去。

叙勲

ソ連邦英雄1945年7月18日、第7970号)
レーニン勲章(1945年7月18日)
赤旗勲章2回(1944年2月28日7月27日
1等祖国戦争勲章
2等ウシャコフ勲章ロシア語版
赤星勲章

記念

以下の場所にアントノフを記念するものが存在している。

参考文献

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ネオン・アントノフ」の関連用語

ネオン・アントノフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ネオン・アントノフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのネオン・アントノフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS