ナボニドゥスのタイマ滞在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 20:00 UTC 版)
「ナボニドゥス」の記事における「ナボニドゥスのタイマ滞在」の解説
なぜナボニドゥスが、それほど長きにわたってタイマに滞在したのか、その理由は明らかではない。彼がそこに行った理由は明らかである。タイマは重要なオアシスで、そこからは経済的な利益を生み出すアラビアの通商路を押さえることができた。彼よりもはるか以前、アッシリア帝国が同じことを試みたことがある。しかしながら、なぜナボニドゥスがそれほど長く(おそらく約10年。紀元前553〜紀元前543年か)滞在し、そしてなぜバビロンに戻ったのか、その理由・目的は未解明の謎として残る。彼が月神シンへ傾斜し、それに抵抗・反対したバビロンにいても落ち着かなかったからだという理由が提案されてきた。ナボニドゥスの帰還については、キュロスの脅威の増大や、ナボニドゥスと息子ベルシャザルとの意見の食い違いが目立つようになってきたことが関係しているかもしれない。ナボニドゥスがバビロンに戻ると、ベルシャザルと大勢の行政官たちは、ただちに解任された。タイマへの滞在中、ナボニドゥスは手の込んだ建築物をタイマに建設した。最近の発掘により、その多くが明らかになりつつある。
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