ナセル主義者によるクーデターの失敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 04:44 UTC 版)
「3月8日革命」の記事における「ナセル主義者によるクーデターの失敗」の解説
4月17日、シリア、イラク、エジプトの政府は、エジプトのナセル大統領主導で、3カ国から成る連邦の樹立のための基本合意を締結した。しかし、 その後、 バアス党優位の軍事委員会は、軍から50人以上のナセル主義者の将校を追放し、事実上、合意を破棄した。 この措置は、エジプトによる大規模なプロパガンダと、アレッポ、ダマスカス、ハマーその他の都市における合意支持派の暴動につながった。ナセル主義者は、粛清にあったにも関わらず、軍の内部で未だに強い勢力を維持していた。7 月 18 日、ジャーシム・アルワーンの指導とエジプトの情報機関の支援のもと、新政府に対してクーデターを起こした。ハーフィズが個人的に守る軍司令部と放送局が攻撃され、続いて起きた戦闘で、居合わせた市民数名を含む数百名が死亡した。 ナセル主義者のクーデターは失敗し、参加した将校27名が逮捕され、処刑された。シリアでは失敗したクーデターの参加者を、通常は、亡命、懲役または外交官の職に割り当てる等で処罰するので、処刑は稀な対処法だった。エジプトとの関係は酷く悪化し、ナセル大統領は、バアス党を「ファシスト」や「殺人者」などと非難し、4月17日の統合合意からのエジプトの離脱を公式に発表した。アルワーンは約1年間投獄されたが、ナセルとイラク大統領のアブドッサラーム・アーリフによるロビー活動で釈放された。
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