ナスダックのピンクな歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/06 13:24 UTC 版)
「マーケットメイク」の記事における「ナスダックのピンクな歴史」の解説
世界恐慌でジャック・モルガン(ジョン・モルガンの息子)らの関係した内部者取引をペコラ委員会が追及した。ウォール街は合衆国史上初めて規制されることになった。1933年証券法が証券発行時のディスクロージャーを義務づけた。1934年証券取引所法も成立した。証券取引委員会が設置され、ナイ委員会の世論圧力を受けながら、恐慌へ至るまでに投信を利用した巨大コンツェルンが電力産業を中心に構築された事実を暴いた。この投信は主に店頭取引でばらまかれていた。すでに制定した二つの法律は株式の店頭取引を規制していなかったので、1934年証券取引所法が1938年に改正された(マロニー法)。これにもとづいて1939年、全米証券業協会(NASD)が組成された。今日までアメリカ唯一の「登録証券業協会」である。彼ら証券会社は店頭取引をするために専ら「ピンクシート」という日刊の気配表を利用した。NQB(National Quotation Bureau)発行のピンクシートは前日最終までの情報誌であったので、実際の売買では証券業者がマーケット・メーカーに連絡して条件を確認する必要があった。マーケットメーカーは株式発行会社を出し抜いてピンクシートへの銘柄掲載を申請してしまうような権力までもっていた。いかにウォール街を規制しても、あふれくる社債・株式の行き場を閉ざすことはできなかったのである。
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