ドミンゴ・ロハス時代
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「アヤラ・コーポレーション」の記事における「ドミンゴ・ロハス時代」の解説
ドミンゴ・ロハスの祖父は18世紀にスペイン領メキシコからフィリピンに渡ったスペイン人であり、教育者だったドミンゴ・ロハスの父は1785年の聖トマス大学創立に貢献した。ドミンゴ・ロハス(1792-1843)はまずサトウキビ、綿花、コーヒー、インディゴ等の栽培をはじめ、やがて製糖、紡績、鉄精練、火薬製造などの事業を起こした。アヤラ家はスペイン・バスクのアラバ地方の土地所有者であり、スペイン生まれのアントニオ・デ・アヤラは19世紀初頭にフィリピンに渡った。1834年にはドミンゴ・ロハスとアントニオ・デ・アヤラが提携し、アヤラ・コーポレーションの創始となる蒸留所を設立した。1851年にはバンク・オブ・フィリピン・アイランズの前身であるイサベル・スペイン系フィリピン人銀行を設立している。後にはドミンゴ・ロハスとアントニオ・デ・アヤラに加えて、ドイツ出身の薬剤師で1832年にマニラに渡っていたヨハネス・アンドレアス・ソベルも蒸留所の経営に加わった。
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