ドキュメンタリー映像作家
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「伊藤孝一」の記事における「ドキュメンタリー映像作家」の解説
1923年(大正12年)の立山・黒部横断行、1924年(大正13年)の薬師岳から槍ヶ岳に至る縦走時には、映画カメラを持ち込み撮影を敢行。誰も観たことが無かった冬の北アルプスの風景を記録に収めた。映画は、「日本アルプス雪中登山」の題名で、東京帝国大学ほか各地で上映会が行なわれたほか、宮内省にも献上された。日本ではドキュメンタリー映画の概念が無かった時代であること、また、山岳地の映像すら無かった時代にいきなり雪山で困難な撮影(当時のカメラは手回し式である)が行われたこと。など、日本映画史の中でも特筆すべき映像となっている。これら映画や映像は、長らく埋もれていたが戦後に再発見、編集が行われ、2000年(平成12年)までに「立山、針ノ木峠越え」、「薬師、槍越え」の2本が世に出ている。黒部ダムの建設により水没した部分の黒部峡谷や有峰ダム建設以前の山村風景が記録されている貴重な映像ということもあり、郷土史資料としても一線級のものとなっている。
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