ドイツの移民政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 01:50 UTC 版)
第二次世界大戦後、ドイツ政府は、労働力不足を補うため、トルコから単純労働者を呼んだ。「ゲスト労働者政策」で家族と共にドイツに来たトルコ人は、定住化し、トルコ系移民となった。 ルーマニア・ブルガリア移民は、2013年度に7万5千人、2014年度はこの倍になると見積もられている。それでも、ポーランドからの移民が多数派である。 貧しい移民が移り住んだデュースブルクでは、児童手当の支払い負担が増え、自治体が悲鳴を上げている。ドイツ政府は、「これら移民労働者がドイツの年金システムを乱用しないような措置」や「移民労働者の子供手当てに制限を課す」ことなどを検討している。 ドイツの一部の大都市では、住民との軋轢が強まっている。ドイツ内相のトーマス・デメジエールは、「移民が問題を引き起こすことは頻繁ではないにしても、いくつかの都市におけるブルガリアとルーマニアからの移民労働者の急速な増加は、懸念材料だ」と述べた。その為、ドイツでは「移動の自由を制限するべきだ」という議論が出ている。 2010年にアンゲラ・メルケル首相は「多文化共生は失敗であった」と発言している。
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