トレビゾンド帝国の併合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 21:13 UTC 版)
「メフメト2世」の記事における「トレビゾンド帝国の併合」の解説
1460年、アナトリア北部の東ローマ系国家トレビゾンド帝国の皇帝ダヴィドは、同盟国である白羊朝の力を頼みにして、毎年オスマンに支払う貢納金の免除を申し出た。メフメトはこの要求に怒り、トレビゾンドを中心とするアナトリア北部の黒海沿岸部の征服を計画した。1461年春、メフメトはモレアス遠征から帰国した数か月後に親征を開始する。 行軍中、黒海に面する港湾都市スィノプを支配するペルヴァーネ侯国がオスマン帝国に降伏する。メフメトは進軍中に白羊朝と協約を結んで援軍の到達を阻止した後、トレビゾンドを包囲した。財産と家族の安全を保障されたダヴィドはメフメトに降伏し、メフメトはトレビゾンド帝国を併合した。併合から数年後、メフメトはダヴィドに白羊朝との内通の嫌疑をかけ、彼をイスラームに改宗した息子の1人を除いた家族と共に処刑する。
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