トラリアノスのフレゴン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 05:52 UTC 版)
「史的イエスの資料」の記事における「トラリアノスのフレゴン」の解説
タッロスについてと同様に、140年頃に年代記を書いたトラリアノスのフレゴン(英語版)(80年頃 - 140年頃)という歴史家についてアフリカーヌスが言及していて次のように記録されている。「フレゴンはティベリウス帝の時代に満月の時、第6刻(正午頃)から第9刻(午後3時頃)まで皆既日食があったことを記録している」(アフリカーヌス『年代史』18:1)。オリゲネスもフレゴンに言及している。「フレゴンはその年代記の第13巻か第14巻で未来の出来事についての知識をイエスに帰しただけでなく、その結果がイエスの予言に一致したことを証言している」(オリゲネス『ケルソス駁論』第2巻14章)。「そしてイエスが十字架にかけられたと思われるティベリウス帝の時代の日食とその時に起きた大地震について……」(オリゲネス『ケルソス駁論』第2巻33章)。「イエスは生きている間は自分自身のために何の役にも立たなかったが死後に起き上がり、自分の刑罰の跡を見せ、手がどのように釘で刺されたかを見せた。」(オリゲネス『ケルソス駁論』第2巻59章)。しかし4世紀に書かれた『年代記』の中でエウセビオスはフレゴンの言葉をそのまま記録している。「さて第202オリンピアード第4年(西暦32年)第6刻にそれまでのすべての日食にまさる大日食が起こり、昼間が天に星がみえるほどの夜の闇に変わり、ビテュニアでは地が動き、ニカイアの町では多くの建物が倒された」。フレゴンはイエスと(死の直前の)3時間の闇についてはまったく言及していない。フレゴンは日食についても言及しているが、それは過越祭には起らない。改変されているかも知れない係年を除けば、この記述は西暦29年11月にトルコ北西部で起きた地震と日食に合致する。
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