デラムスの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 17:13 UTC 版)
「シカゴ・グレート・ウェスタン鉄道」の記事における「デラムスの時代」の解説
1929年より、のちのカンザス・シティ・サザン鉄道(KCS)の社長、ウィリアム・N・デラムス・ジュニアを中心とするグループがCGWの経営権を握るべく株の購入を開始した。1949年までにこのグループはデラムスの息子、ウィリアム・N・デラムス3世を経営者に据えた。 彼は前任者よりさらに積極的に近代化とコスト削減に取り組み、やがてはそれがCGWの企業風土となった。デラムス3世のもとで、旅客輸送は廃止され、鉄道のオフィスはシカゴからエルウィンに統合された。貨物列車は以前にも増して長編成となり、牽引する機関車はGM-EMDのFシリーズを5両以上も連ねたものであった。こうした輸送形態は到達速度は遅くなったが、効率は上がった。 1946年、CGWに初めて他の鉄道との統合話が持ち上がった。このときはシカゴ・アンド・イースタン・イリノイ鉄道とミズーリ・カンザス・テキサス鉄道(MKT)との合併であった。投資家たちが躊躇したためにCGWは独立を貫いたが、アメリカの鉄道を取り巻く環境が非常に大きく変化した1950年代でさえ繁栄を謳歌することができた。1950年代のアメリカでは、各鉄道が合従連衡し、輸送パターンを変え、CGWや同規模の鉄道が存続するためには経済的に微妙になってきた。 1957年、デラムス3世は経営を退き、MKTの社長となった。1950年代の鉄道の合併合戦は転換期にあった。
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