デニス・ホッパー、企画と監督の座を乗っ取る
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「アウト・オブ・ブルー (映画)」の記事における「デニス・ホッパー、企画と監督の座を乗っ取る」の解説
『アウト・オブ・ブルー』は当初、「シンディ・バーンズの場合」なるタイトルで、カナダ製テレフィーチャー用として企画され、製作・脚本のレナード・ヤキールの監督によって進められた。ストーリーも、レイモンド・バー扮する児童心理学者Dr.ブリーンを主人公に、リンダ・マンズ扮する非行少女シービーの救済を描き、ラストもハッピーエンドだった。そしてデニス・ホッパーは、一役者として参加しただけに過ぎず、それも本作の製作総指揮にして、一作目『イージー・ライダー』(1969年)から近作『逃げる天使』(1994年)までにいたるホッパー作品に殆ど関わってきた盟友ポール・リュイスに請われた形であった。 ところがヤキールは初監督のプレッシャーからか、クランクインから二週間たっても撮影が遅々として進めることが出来ず、ホッパーの出番すらまだ撮れない状態で、撮り終えた素材も全く使い物にならないシロモノだったという。堪忍袋の緒が切れたリュイスが、「企画を放棄したい」とホッパーに泣きつく始末。だが監督第二作として撮った『ラストムービー』を巡り、ユニバーサルとトラブルを起こしたためハリウッドから干され、インディーズ作品やヨーロッパ圏作品への出演を余儀なくされていた当時のホッパーは、これを寧ろハリウッド復帰へのチャンスと考え、監督の座と企画そのものを乗っ取ることを決意。週末を利用してリュイスと共に出資者達と面会。監督交替の合意を取り付け、企画当初のレイモンド・バー起用という条件以外の自由な采配権を得た。
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