ディオニシウス・アレオパギタとの混同
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 06:03 UTC 版)
「パリのディオニュシウス」の記事における「ディオニシウス・アレオパギタとの混同」の解説
少なくとも9世紀から、ディオニシウス・アレオパギタの伝説とパリのディオニュシウスとはしばしば混同されてきた。814年頃、ルートヴィヒ1世は、ディオニシウス・アレオパギタの著作とされる書物をフランスにもたらし、それ以来、フランスの伝説作家の間では、パリのディオニュシウスは、有名な宣教師でパウロの弟子であったディオニシウスと同一人物であるとするのが一般的となった。聖ディオニュシウスと、ディオニシウス・アレオパギタと、ルートヴィヒ1世がフランスに持ち込んだディオニシウス作とされる書物の実際の作者である偽ディオニシウス・アレオパギタとの人格の混同は、サン・ドニ修道院の院長ヒルドゥイン(en:Hilduin)がルートヴィヒ1世の求めに応えて836年に著した『アレオパギティカ』(Areopagitica)によってさらに広まった。今日の歴史書編集者の間では、この点について異論はない。
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