テレンティリウス法案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 23:24 UTC 版)
「ティトゥス・ウェトゥリウス・ゲミヌス・キクリヌス (紀元前462年の執政官)」の記事における「テレンティリウス法案」の解説
両執政官がアエクイとウォルスキに対する作戦のためにローマを留守にしているときに、護民官ガイウス・テレンティリウス・ハルサ(en)が、執政官の権限を制限する特別法案を提出した。執政官不在中のプラエフェクトゥス・ウルビ(首都長官)であるクィントゥス・ファビウス・ウブラヌスがこの法案に激烈な反論を加え、執政官が帰還するまで投票を延期すべしとし、実質的には他の護民官たちによって取り下げられた。この法案はローマ社会に混乱を招き、パトリキとプレブスの対立が顕著となった挙句、キンキナトゥスの息子が追放されるなど紆余曲折を経て、紀元前451年/450年にローマ初の成文法である十二表法として実現する。
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