テレビ普及後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 06:32 UTC 版)
テレビ受像機は街頭テレビのほか電器店や公民館、国鉄を中心とした鉄道駅のコンコースなどに置かれていたが、それに刺激されて飲食店や喫茶店などにも設置されるようになった 間もなく白黒テレビは家庭へと普及していき、三種の神器の一つに数えられた。特に1958年の東京タワー竣工とミッチー(ご成婚)ブームを境に急速に浸透した。そのため街頭テレビは、1960年より放送を開始したカラーテレビの普及に目的を転じた。しかし1964年の東京オリンピックをきっかけとして、カラーテレビもまた各家庭に浸透していったため、次第に街頭テレビは目的を失い、衰退していった。 その後も各地域をサービスエリアとするテレビ局やケーブルテレビ事業者がサービス宣伝の目的で、主要駅のコンコースや商業施設の休憩所などにテレビや複数のチャンネルが見られるモニターを設けている事例がある。1980年代から2000年代初頭にかけて、ハイビジョンの普及目的で受像機が公共の場所に設置されたこともあった。
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