テストは教育の一手段であり、不正解にして終わらせるべきではない
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 09:17 UTC 版)
「かけ算の順序問題」の記事における「テストは教育の一手段であり、不正解にして終わらせるべきではない」の解説
これ(朝日新聞、1972年1月26日)を読んでまず感じたことは、(中略)テストは教育の一手段であって、その目的ではない。(中略)6×4と書いた子どもがいたら、バツをつけるまえに(中略)いいかわるいかを討議させるといいだろう。そうすると、その討議の過程で、その子がまちがっていたら、なぜ誤りとされたかを納得するだろう。また、4×6と書いた子どもも、その子の説明をきいて6×4の考え方がわかって、賛成するかもしれない。(中略)バツをつけて終わりにしたら、せっかくのチャンスをのがすことになってしまう。 — 遠山啓、量とは何か I, p114 一見正解と異なる解答を挙げて討議させれば、なぜ誤りかを知ることや、正しい考え方をいろいろ知ることができ、教育の1つの手段になるので、かけ算の順序が異なっていても正解の可能性があるテストは、すぐに不正解にして終わらせるべきではないという主張である。 この主張では、正解かどうかは討議の後で明らかになるのだが、討議に入るまでの採点方法や、正しく理解しているかどうかを調べる目的のテストの扱いについては言及されていない(テストは点を取ることが目的ではないことは言及されている) 。しかし、解答に書かれたかけ算の順序が異なるかどうかだけで、かけ算の理解が正しいかどうかを調べることができないことは示されている。
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