ティコの鼻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 06:56 UTC 版)
1566年、ティコ・ブラーエはロストック大学で学ぶために旅立った。ティコはこの大学の有名な医学部で学び、医療錬金術と植物医療学(botanical medicine[訳語疑問点])に関心を持った。1566年12月29日、ティコは同窓生のデンマーク貴族メンドルプ・パースベアウ(英語版)(ティコの3番目の従兄弟)との剣による決闘で鼻の一部を失った。12月10日のルカス・バックマイスター(英語版)教授の家で開かれた婚約パーティーでティコとパースベアウは酔っぱらった末に誰が優秀な数学者かについて口論になった。29日に再び衝突寸前に至ると、彼らはこの対立を暗闇の中の決闘によって解決するという結論に達した。二人は後に和解したが、この決闘の結果、ティコは鼻梁を失い額を横切る大きな傷を負った。大学で彼は可能な限りの治療を受け、その後の人生において付け鼻を装着して過ごすことになった。この付け鼻はコムギペースト(英語版)または糊で接着され、銀と金で作られていたと言われていた。2012年11月、デンマークとチェコの研究者は、2010年に掘り返された彼の体の鼻の部分から採取された小さな骨のサンプルを科学調査し、実際にはティコ付け鼻は真鍮製であったと報告した。
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