ツンベルクの記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:22 UTC 版)
安永4年(1775)にオランダ商館の医師として長崎に滞在したスウェーデン人のカール・ツンベルクは、その著書『日本紀行』の中で本事件について触れている。ツンベルクは日本人は自尊心が高く、西洋人の滑稽さや不正は忘れて許してくれるが、傲慢な軽蔑的態度は許しがたい罪を犯したとみなすと評したのち、本事件に関するケンペルの『日本誌』の記述を引いて、本事件は日本人商人に対するノイツの扱いが非常に酷かったため、日本君主および国民に対する甚だしい侮辱であると憤慨した侍臣たちによる復讐である、としている。日本人は正義の念あつく自負心強く勇敢な国民であるため侮辱を加える者には容赦なく、また、普段は怒りや憎しみの情を表さず、侮辱に対して言い返して自分を慰めるようなことをしないが、憎厭の念を心中にため込み、機が至れば直ちに殺傷に至るような復讐に出ると注意を喚起している。
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