チャールズ・プラット・アンド・カンパニー
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「チャールズ・プラット」の記事における「チャールズ・プラット・アンド・カンパニー」の解説
1860年代中頃にプラットは、ペンシルベニア州西部の新しい油田地帯で2人の向上心を持つ若者、チャールズ・エリスおよびヘンリー・H・ロジャーズに出会う。プラットはエリスの故郷マサチューセッツ州フェアヘーヴンで彼から鯨油を購入した。彼らは小さなベンチャー企業、ワムスタ精油所(英語版)をオイル・シティ(英語版)の近くのマクリントックスヴィルに設立し、プラットの会社に生産の全てを固定価格で販売した。 エリスとロジャーズは油井を持たず、プラットに精製油を販売するため原油の購入に依存した。数カ月後原油価格は投機によって急騰した。二人はプラットとの契約に応えようと努力したが、すぐに余剰分は底をつき、プラットに対して多くの負債を負うことになった。 エリスは経営をあきらめたが、1866年にロジャーズはニューヨークでプラットに会い、自らが全ての負債に対する直接の責任を取ることを伝えた。プラットはこの態度に感銘を受け直ちにロジャーズを自らの会社に採用した。続く数年でロジャーズは、エルバート・ハバードの言葉でプラットの「手足となり目、耳となった。」『Little Journeys to the Homes of Great Businessmen』(1909) プラットはロジャーズをブルックリン精油所の現場主任に任命し、販売が年間5万ドル以上に達したときは会社を共同経営することを約束した。ロジャーズと妻のアビーはブルックリンのグリーンポイント地区に転居した。ロジャーズは質素な生活を続け、非常に熱心に働いた。アビーは彼の食事を精油所に運んだ。また彼はしばしば毛布にくるまって一晩に三時間しか眠らなかった。ロジャーズは現場主任から精油所長、そしてアストラル・オイルの最高責任者まで昇任した。プラットは、最後にロジャーズにビジネスへの関心を与えた。1867年にプラットはパートナーとしてのヘンリー・ロジャーズと共にチャールズ・プラット・アンド・カンパニーを設立した。
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