チャーリーから見たハンナと、その影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/31 06:42 UTC 版)
「ハンナ・チャップリン」の記事における「チャーリーから見たハンナと、その影響」の解説
チャーリーはハンナについて、1915年には「私が知っている中で最高にすばらしい女性」であるとし、1918年にも「もし母親がいなかったら私がパントマイムで名を成していたかどうか疑わしい。ことパントマイムに関する限り、母は自分がこれまでに出会ったなかで最高の名人」であるとした。観察力の鋭さにも敬服しており、時にはその観察力が発端となった噂話が出回ることもあったという。貧乏生活が続く中でも常に明るく振る舞おうと努力し、ハンナ自身がこれまでに歌った歌や演じた役柄をシドニーやチャーリーに見せたことを、チャーリーは世界的巨匠となった晩年になっても覚えていた。症状が落ち着いていた時には鋭いことを言うこともあり、「もしおいしいお茶の一杯でも飲ませてくれていたら、病気になどならなかっただろうに」とつぶやいたことを、チャーリーは生涯忘れることはなかった。ただし、チャーリーが映画撮影でお馴染みの「チャーリー(英語版)」の恰好をしていることについては、「普段から貧乏な恰好をしている」と思い込んでいたのか「新しい服を買ってやる」と言うこともあった。ハンナが亡くなった際、チャーリーは悲しみのあまり数週間も落ち込んでいたという。 チャーリーの作品および私生活における女性観において、ハンナの影響力の強さは初恋の女性ヘティ・ケリー(1893年 - 1918年)と双璧と言ってもよく、1952年製作の『ライムライト』でヒロインのテリー役を務めたクレア・ブルームによれば、チャーリーは衣装合わせの際に頻繁にハンナとヘティの名前を出している。
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