チャナク事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 10:08 UTC 版)
「ウィンストン・チャーチル」の記事における「チャナク事件」の解説
敗戦国トルコはセーヴル条約によりギリシャに領土の一部を引き渡すことになったが、トルコ国民軍を率いるムスタファ・ケマル・パシャはこれを無視してギリシャ占領軍に攻撃を仕掛けて駆逐した(希土戦争)。のみならずケマル軍は1922年9月にダーダネルス海峡(第一次世界大戦後、中立化されていた)付近まで侵攻してきて、チャナクに駐屯するイギリス軍を攻撃する構えを見せた(チャナク危機)。 ロイド・ジョージ首相は熱烈にギリシャを支持し、現地イギリス軍に持ち場の死守を命じた。チャーチルははじめトルコに同情的だったがケマルの恫喝的な態度を見て、ロイド・ジョージの方針を支持した。チャーチルの主導で大英帝国自治領にも対トルコ開戦のときには出兵することを求める政府決議が出された。さらにロイド・ジョージはトルコが侵略を辞めない場合にはイギリス地中海艦隊を派遣することを決定し、ギリシャにも支援を約束し、ケマルに最後通牒を突きつけた。イギリスの強硬な態度を恐れたケマルはギリシャとの休戦に同意し、希土戦争を終結させた。
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