チャド内戦
チャド内戦 (1965年–1979年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/11 19:11 UTC 版)
「チャドの歴史」の記事における「チャド内戦 (1965年–1979年)」の解説
詳細は「チャド内戦 (1965年–1979年)(英語版)」を参照 1965年11月にゲラ州で反乱(tax revolt)が勃発し、500人の死者を出した。 1969年には北部イスラム勢力がチャド民族解放戦線(英語版)(FROLINAT)を結成し、反政府ゲリラ活動を展開し始めた(チャド内戦 (1965年–1979年)(英語版))。これに対してトンバルバイは、フランスに対して援助を要請した。ところが1971年には、リビアが、FRONLINATに援軍を送り内戦に干渉を始め、1973年にはリビアがウラン鉱脈のある北部のアオゾウ地帯を占拠した。リビアのカダフィーは、その返還要求をチャドが撤回して政治犯を釈放することを要求し、要求が満たされればリビア軍の撤退をすると表明した。トンバルバイはこれを受け入れた。にもかかわらずトンバルバイの独裁政治はエスカレートし、軍人や官僚に対してブードゥー教への改宗を迫り、反発者は容赦なく処刑した。
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