チペワ研究所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 02:34 UTC 版)
この頃、クレイは CDC 上層部からの干渉に徐々に我慢できなくなってきていた。クレイは常に最小限の管理オーバーヘッドで完全に静かな作業環境を要求した。しかし会社が発展するにつれて、彼は絶えず上司に仕事の邪魔をされるようになっていると感じた。クレイによれば、上司である中間管理職者はクレイを見込み客に会わせて販促の道具として使う以外に何もしなかったという。クレイは、開発を続けるにはセントポールから十分に離れた場所に移るのがよいと考えた。すなわち、ちょっと立ち寄るには遠すぎて、長距離電話を頻繁にかけるのもコスト的に難しく、逆にクレイが取締役会議に参加するにはそれほど困難でない場所を想定したのである。議論の末にノリスはクレイを支持し、故郷のチペワ・フォールズにクレイが所有していた土地に新しい研究所を設置した。この移転の理由の一部として、クレイが核戦争を心配し、ミネアポリス(セントポールとは川の対岸に位置する)が非常に危険だと考えていたことも関係している。彼は新たな CDC の研究所から数百ヤード離れた場所に自分の家を建てたが、それには大きな核シェルターが備え付けられていた。 新しいチペワ研究所が稼動し始めたのは 7600 のプロジェクトの最中だったが、プロジェクトに遅延は見られなかった。7600が出荷されると、彼は後継の CDC 8600 の開発を開始した。このプロジェクトによって、CDCでの彼のサクセスストーリーは 1972年に終わることになった。 6600と7600は最終的には大成功であったが、それらの設計段階では会社は倒産寸前にまで追い詰められた。8600 のときも同様の事態に達したころ、クレイは設計を一からやり直すことに決めた。この時は、ノリスは危険を冒さなかった。社内のもうひとつのプロジェクト CDC STAR-100 はうまく進行しているように思われた。ノリスは STAR が出荷されるまでクレイのプロジェクトは予算をほとんど削ることを申し入れたが、クレイはこの条件に納得せず、会社を辞めたのである。
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