チベット亡命政府の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 07:43 UTC 版)
「ガンデンポタン」の記事における「チベット亡命政府の成立」の解説
チベット動乱が首都ラサに波及した1959年3月10日、ダライラマ14世はノルブリンカ宮をインドへ向け脱出、国境の手前でチベット臨時政府の発足を宣言した後、インドに亡命した。一方、中国側は、中華人民共和国国務院総理の周恩来が「西蔵地方政府の廃止」を宣言した。 同年4月29日、インド北部の丘陵地ムスーリーで新たに行政機構が再組織され、チベット亡命政府(中央チベット行政府 Central Tibetan Administration(CTA)が発足した。1960年5月、亡命政府はダラムサラのガンジョン・キショッと呼ばれる地域に拠点を移した。
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