ダレイオスのスキュティア遠征とは? わかりやすく解説

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ダレイオスのスキュティア遠征

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 20:38 UTC 版)

スキタイ」の記事における「ダレイオスのスキュティア遠征」の解説

アケメネス朝ダレイオス1世在位:前522年 - 前486年)はボスポラス海峡渡ってトラキア人征服すると、続いて北のスキタイ征服するべく、イストロス河(現:ドナウ川)を渡った。これを聞いたスキタイ周辺諸民族糾合してダレイオスに当たるべきだと考え周辺諸族に使者送ったが、すでにタウロイアガテュルソイネウロイアンドロパゴイメランクライノイゲロノイブディノイサウロマタイの諸族の王は会合し対策練っていた。スキタイ使者は「諸族が一致団結してペルシアに当たるため、スキタイ協力してほしい」と要請した。しかし、諸族の意見二手分かれスキタイ賛同したのはゲロノイ王,ブディノイ王,サウロマタイ王のみであり、その他の諸族は「スキタイの言うことは信用できない」とし、協力断った。 こうして全ての民族同盟軍に加わらなかったため、スキタイ正面からの攻撃あきらめ焦土作戦によってペルシア軍を迎え撃つことにした。スキタイはまず、ペルシア軍の前に現れペルシア軍を誘き寄せ東へ撤退していった。両軍追い追われながらタナイス河を渡りサウロマタイの国を越えてブディノイの国に達したこの間土地には焦土作戦ため水食料もなく、ペルシア軍はただもぬけの殻となったゲロノスの木造砦を燃やして進軍続けた。やがて無人の地に入ったため、ダレイオス進軍をやめてオアロス河(現:ヴォルガ川)畔に駐屯し8つの砦を築き始めたこの間スキタイ軍は北を迂回してスキタイ本国帰ったスキタイ姿を消したので、ダレイオスは砦の築城放棄して西へ転じスキタイ本国向かったペルシア軍はそこでブディノイを含むスキタイ区連部隊遭遇し、ふたたび追跡始める。しかし、スキタイ軍は逃げるばかりで戦おうとしないため、ダレイオス遂にスキタイのイダンテュルソス(英語版)王に使者送って降伏勧告をした。イダンテュルソス王はダレイオス態度腹を立て、ふたたびペルシア軍を翻弄するとともに両者一進一退の攻防繰り広げた末、遂にペルシア軍をスキュティアの地から追い出した

※この「ダレイオスのスキュティア遠征」の解説は、「スキタイ」の解説の一部です。
「ダレイオスのスキュティア遠征」を含む「スキタイ」の記事については、「スキタイ」の概要を参照ください。

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