ダライ・ラマ14世と第二次世界大戦後
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「チベットの歴史」の記事における「ダライ・ラマ14世と第二次世界大戦後」の解説
ダライ・ラマの転生者であるダライ・ラマ14世は1939年に中華民国青海省のチベット人居住地区タクツェル(英語版)で発見された。14世は5歳までそのまま中華民国内で育てられ、1937年にラサに移された。そして1940年2月22日に即位した:72。なお、中国は国民党政府がダライラマ14世を認定し、国民党の代表者呉忠信が式典を統括したと主張しているが、チベット側はその事実はないとしている。 1942年、チベットは外務省を設立している。他方、同1942年、アメリカ政府は蔣介石政府に中国のチベット政策に異議はないとした。 またチベットは日本に親密な態度を貫き、連合国による中国への武器輸送を拒み中立を保った。
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