ダイムラー・ベンツ取締役会会長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 09:30 UTC 版)
「ユルゲン・シュレンプ」の記事における「ダイムラー・ベンツ取締役会会長」の解説
1995年、親会社であるダイムラー・ベンツの取締役会会長であり、その在任中に事業の多角化を進めたことで業績不振を招いたエツァルト・ロイターが会長職を退任することとなった。その後継者の座をヘルムート・ヴェルナーと争った末、シュレンプは1995年5月に取締役会会長を引き継いだ。同職に就任したシュレンプは、2005年までの10年間に渡って最高経営責任者(CEO)として同社を率いることになる。 シュレンプはロイターが進めた「総合技術コンツェルン」という事業多角化の方針とは決別し、本業である自動車事業に注力する方針を立てた。そのため、ロイターの方針により「メルセデス・ベンツ社」(Mercedes-Benz AG)として独立した子会社となっていた乗用車部門を、1997年4月にダイムラー・ベンツに再統合した。これはメルセデス・ベンツ社がダイムラー・ベンツ社の売上と利益の大部分を稼ぎ出していたことが最大の理由だが、同時に、そのメルセデス・ベンツ社の経営者であり、会長の座を争ったヴェルナーの力を削ぐ必要が(シュレンプにとっては)あったためである。シュレンプは、メルセデス・ベンツ社の重役であるディーター・ツェッチェ、ユルゲン・フベルトらにダイムラー・ベンツの取締役の椅子を用意することで懐柔し協力させ、その結果、権限を失ったヴェルナーは1997年にダイムラー・ベンツから去った。
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