タイポグラフィーへの入門
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 09:36 UTC 版)
「ヘルマン・ツァップ」の記事における「タイポグラフィーへの入門」の解説
政治体制の変化のため、ツァップはニュルンベルクのオーム技術研究所 (Ohm Technical Institute) への入所が許されなかった。そこで奉公先を探さなければならなかったが、面接に訪れた会社からは政治的な質問が繰り返され、作品は褒めてもらえるものの、不合格の通知ばかりを受け取った。そこで、新政治による弊害を警戒した教員が、ツァップの製図の技術に気付き石版画家になるように勧めた。10カ月後の1934年、電話帳に載っていた最後の会社の面接を受けた。その会社では政治に関する質問を一切されず、作品を褒められ、石版画も奉公ももする必要がなかった。レタッチャーとして採用され、1934年から4年間の研修期間が始まった。 1935年、前年に没したタイポグラファーのルドルフ・コッホ (de) のためにニュルンベルクで開かれた展示会に出向き、ツァップは初めてレタリングに興味を抱いた。会場で2冊の本を買い求め、独学でカリグラフィーを学び始めた。ニュルンベルクの市民図書館でカリグラフィーの手本を見て勉強した。彼の師はすぐに彼のカリグラフィーの才能に気付き、ツァップの仕事はレタリングの修正と同僚のレタッチの改良へと変わっていった。
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