スンナ派とシーア派による伝承の解釈の相違
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/06 19:58 UTC 版)
「ガディール・フンムの出来事」の記事における「スンナ派とシーア派による伝承の解釈の相違」の解説
イスラームの預言者ムハンマドは生涯最後のハッジの大巡礼の帰途、ともに大巡礼に参加した信者達すべてをガディール・フンムに集め説教をした。その中でフレーズの一つが مَنْ کنْتُ مَوْلاهُ فَهذا عَلی مَوْلاهُ (日本語訳:私がその人のマウラーであれば、このアリーがその人にとってのマウラーである。)である。ワリーやマウラーという言葉は指導者や信頼できる友という意味である。またウィラーヤト(アラビア語:ولایة )という統治をさす言葉と同じ語源からの言葉である。 この出来事そのものは、多少の文章の差異があるとしても疑いの余地がなく数多く伝承されている。またスンナ派とシーア派の両方の原典に記載され、受け入れられている。 ただこの出来事を伝える伝承の解釈において意見の違いが存在する。シーア派はここでムハンマドがアリー・ブン・アビー・ターリブを自分の後継者、兄弟としてアッラーの指示として信者達に紹介したと主張している。 それに対してスンナ派はイエメンで起こったアリーと教友たちとの間の不和のためにこの言葉が発せられたと主張している。それゆえこの言葉は単にムハンマドとアリーの親しい関係を示すものであり、ムハンマドが信者達にアリーと仲良くするように命じたものであり、アリーが彼のいとことして自分の死後は一門の代表であると宣言したものであるとみなしている。
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