スピーク・イージー
アメリカの禁酒法時代にもぐり営業をしていた酒場のこと。「こっそりと酒を注文する」、というのがこの名称の語源です。禁酒法時代後半の1929年、ニューヨークには約32000軒のスピー・クイージーがありました。禁酒法廃止前年の1932年には、全米に22万軒近くあったといいます。多くは、洋服屋、床屋、薬局、さらには葬儀屋の奥の一室で営業したり、覗き穴つきの地下室で営業していました。ニューヨークの高級レストラン・バーとして今も健在の「21クラブ」(マンハッタン52丁目)の地下の酒蔵(セラー)は、そうしたスピーク・イージーの超高級店でした。現在もこの店を訪れると、もぐり酒場時代の隠し扉を名残りとして見ることができます。 |
スピークイージー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/06 15:04 UTC 版)
スピークイージー(英語: speakeasy)、別名ビアフラット(英語: beer flat[1])もしくはブラインドピッグ(英語: blind pig)もしくはブラインドタイガー(英語: blind tiger)とは、アルコール飲料を密売する店であった。
アメリカ合衆国において、スピークイージーの存在は1880年代まで遡るが、隆盛を極めたのは禁酒法時代(1920年から1933年の間で、州によってはもっと長い)においてであった。この時代、アルコール飲料の販売、製造、運搬(ブートレギング)はアメリカ合衆国憲法修正第18条の施行により、合衆国内で禁止されていた[2]。1933年に禁酒法が廃止された後、スピークイージーは大きく廃れた。2000年に、ミルク&ハニーが開店してからは、スピークイージー・スタイルのバーが流行するようになった[3]。
語源

1889年の新聞によればペンシルベニア州にある無許可バーを「スピーク・イージー」と呼ばれていたとしており[5]、公共の場やこのような場所の中でその場所について密かに話すことで警察や隣人に知られないようにするために呼称されるようになったとしており[6]、ピッツバーグ都市圏であるマッキーズポートで1880年代に無許可バーを経営していたケイト・ヘスターの言葉に由来する呼称と言われている[7][8]。この呼称はピッツバーグでの無許可バーの隆盛を理由にアメリカ合衆国において最初に有名になったとされているが、無許可で酒類が販売される場所を指す「スピークイージーショップ」という呼称が登場するのは英国海軍による1844年に書かれた回顧録である[9]。また、「密売人の店」を指す「スピークソフトリーショップ」は1823年のイギリス俗語辞典に登場している[9]。何年も経った後の禁酒法時代のアメリカにおいて、「スピークイージー」は酒を手に入れる場所として普通に使われるようになっていった[10]。
スピークイージーの別名として、19世紀のアメリカ合衆国で誕生したのは「ブラインドピッグ」や「ブラインドタイガー」である。これらの呼称は違法に酒を売る地位の低い酒場を指していて現在も使用されている。酒場の経営者は見世物(動物など)で金を取りアルコール飲料を無料で提供することで法の網をくぐり抜けていた。
極端な例では、グリーンランドのブタやその他奇妙な動物を見世物にして、そのブタを見るための料金として25セント取られるが無料でジンのカクテルをもらった[11]。また「ブラインドタイガー」と呼ばれる謎めいた場所では禁酒法が間接的な原因だがとても質の悪いウイスキーが飲まれていた[12]。
「ブラインドタイガー」はまた販売者が身元を隠す違法な酒場をも指す言葉だった。
ビリヤード場に見える場所の壁に引き出しが一体化している。引き出しを開け、お金を入れて閉めて何が欲しいかを言い、また引き出しを開ける。「ストレート(薄めないそのままの蒸留酒)」か「スパイクト(アルコール入りのカクテルなどの飲み物)」かを飲むことができた。誰一人話したり会ったりせず、ブラインドタイガーには番人が見たところ存在しておらずまるで魔法仕掛けのようだった[13]。
歴史

スピークイージーは禁酒法時代に何軒も存在し人気を得ていた。それらの一部は犯罪組織関係者が経営しており、警察や酒類取締局職員は度々捜索し経営者や常連客を逮捕していったがそれでも利益は大きく繁栄を続けやがてスピークイージーはこの時代におけるアメリカ合衆国文化の象徴の一つとなった。スピークイージーは酒場の統合などの複数回の変化によって形成された。有色人種、白人黒人といった全人種が集まって交流していて、差別はほとんどない場所だった[15]。1930年にデトロイト=ウインザートンネルが開通したことによって、アルコール飲料をアメリカ合衆国に密輸する新たな手段が生まれ、地域内のギャングにとってさらなるビジネスが生み出された[16]。
また、女性客の増加によって新たな変化が生じ、スピークイージーに女性客をより呼び込み利益を上げるためのビジネスも生まれていった[17]。女性たちもスピークイージーのビジネスに乗り出すようになり、かつて映画や演劇で活躍していた女優のテキサス・ガイナンは禁酒法時代に300クラブやエル・フェイといったスピークイージーを多く出店した。ガイナンは客たちを「よう、酔っぱらいども」と呼んで歓迎し、禁酒法無しでは何もできなかったと認めている。彼女にとって2人の最大競合相手はヘレン・モーガンとベル・リビングストンだった[18]。
禁酒法時代のスピークイージーから発達した文化もあり、スピークイージーは文化の中心となった。禁酒法では映画でアルコール飲料を出すことも制限されていたが、真のアメリカンスタイルな表現と感じていた映画製作者はアルコール飲料を出し続けていた。そのような場面がある映画としてジョーン・クロフォードがスピークイージーのテーブルの上で踊る『踊る娘達』などがある[19]。
低品質な違法酒を売っていた一部のスピークイージーは蒸留酒のそのままの味を重視した19世紀の「クラシック」なカクテル(ジュネバ(スイート・ジン)で作られたジンカクテルなど)からいい加減な密造酒の味を誤魔化そうとした新しいカクテルへと移行したことに責任がある。これら誤魔化した酒は当時「パンジーズ(pansies)」と呼ばれていた[20][21](とはいえ、アレクサンダーなどの一部のカクテルは現在「クラシック」と呼ばれている)。スピークイージーで販売されていたアルコール飲料の質は粗悪なものから高品質のまで範囲が広いが、全て経営者が製品を仕入れる方法によって決まっていた。質の悪い酒は一般的に利益が出るという理由で仕入れられていたが、他の場合では需要のあるアルコール飲料を特定するためにブランド名が使用されていた。しかし、ブランド名を使うときに一部のスピークイージーは高品質の酒を注文した客を騙して低品質の酒を出すという不正を働いていた。価格はボトル1本4、5ドルだった[22]。
アメリカ合衆国で2000年代にスピークイージーをテーマにしたカクテルバーが復活した[21]。2022年のコロナ禍の最中、このテーマは再び人気となり、とりわけニューヨーク市においては大人気だった。現在、この名称はレトロなバー全体を指す言葉になっていて、オーストラリア(2010年に登場)[23]やイギリス(2012年に登場)[24]のような禁酒法の無い国にも広がっている。
スピークイージーの種類

スピークイージーの黎明期は娯楽的要素はほとんどなかったが、緩やかながら発展して人気を博すようになり新たな娯楽的要素が加わる形で様々な地域で増加し、禁酒法時代においてスピークイージーは最も規模の大きいビジネスの1つになっていった。
多くの農村部の町で、小規模なスピークイージーやブラインドピッグが地元の実業家によって経営されていた。これらの内輪的な秘密は禁酒法が廃止になった後もなお守られる事が多かった。2007年、ニューヨーク州ビンガムトンにあるサイバーカフェウェストの改装工事でスピークイージーとして使われていたと思われる地下室が発見されている[25]。
スピークイージーは経営のために規模を大きくする必要は無かったとされ、「スピークイージーを開くのにはボトル1本と椅子2つあれば充分だ」と言われていた[26]。スピークイージーの場所の一例としてニューヨークにある21クラブはスピークイージーの中でより有名であり2020年まで営業していた。21クラブはチャーリー・バーンズとジャック・クリエンドラーによる事業の一環の一部でしかなかった。彼らはグリニッジの「ザ・レッドヘッド」と称した場所から事業を始め、その後「ザ・パンチョンクラブ」という次の事業に移行した。21クラブは気付かれない状態を維持するシステムのおかげで特別だった。危険が迫っていることをバーに警告するために門番を配置する独特のシステムであり、それによりバーは機械仕掛けで通常の店に変形した[27]。

「バスクラブ」や「オリアリーズ・オン・ザ・バワリー」のような店と共にスピークイージーはニューヨーク全体に広まっていった。拡大していた全てのスピークイージーはそれぞれ異なっていても独特さを生み出す自身の専門性を持っていた。「バスクラブ」も独自性を保つために演奏するミュージシャンを雇っていたが、ミュージシャンを雇用するアイデアはスピークイージーのビジネス全体に広まり多くのスピークイージーでミュージシャンが雇われるようになっていった[28]。
ビアフラットはより高級なスピークイージーの住宅版であり、合衆国中西部で一般的だった[29]。
関連項目
- en:Smokeasy
- List of bars § Speakeasies
- en:Index of drinking establishment–related articles
- en:Black and tan clubs
脚注
- ^ “Beer Flat explain”. The Maryville Daily Forum: pp. 8. (1928年12月12日) 2024年12月20日閲覧。
- ^ 13.“Speakeasy.” Merriam-Webster. Merriam-Webster, n.d. Web. 18 Feb. 2014. <http://www.merriam-webster.com/dictionary/speakeasy>.
- ^ Felten, Eric (2007年4月14日). “Speakeasies With a Twist”. The Wall Street Journal. オリジナルの2020年1月2日時点におけるアーカイブ。 2022年1月1日閲覧。
- ^ “The Speak Easies”. Pittsburg Dispatch: pp. 16. (1889年6月30日)
- ^ Cheney Sentinel. (September 13, 1889). p. 1, col. 1 (チーニーの新聞)
- ^ Harper, Douglas. “speakeasy”. Online Etymology Dictionary. 2012年10月29日閲覧。
- ^ http://www.post-gazette.com/stories/sectionfront/life/munch-goes-to-the-blind-pig-304218/
- ^ http://www.post-gazette.com/life/2013/12/05/Hic-hic-hooray/stories/201312050249
- ^ a b “Liquor Licenses, Steelworkers and the British Navy - an Unlicensed History and Etymology of "Speakeasies"”. Early Sports and Pop-Culture History Blog. 2014年8月13日閲覧。
- ^ Okrent, Daniel. Last Call: The Rise and Fall of Prohibition. New York: Scribner, 2010. Print. Page 207
- ^ MacRae, David (1870). The Americans at Home: Pen-and-Ink Sketches of American Men, Manners, and Institutions. Volume II. Edinburgh, Scotland. p. 315
- ^ Atlantic Monthly (February, 1912): p. 206.
- ^ “Denton's Doings”. Dallas Weekly Herald (May 29th, 1875): p. 2 .
- ^ “The Illegal Speak-Easies”. New York Times. (1891年7月6日)
- ^ Okrent, Daniel. Last Call: The Rise and Fall of Prohibition. New York: Scribner, 2010. Print. Page 212
- ^ Sismodo, Christine. America Walks Into a Bar. New York: Oxford University Press, 2011. Print. Page 218
- ^ Okrent, Daniel. Last Call: The Rise and Fall of Prohibition. New York: Scribner, 2010. Print. Page 211
- ^ Sismodo, Christine. America Walks Into a Bar. New York: Oxford University Press, 2011. Print. Page 220
- ^ Okrent, Daniel. Last Call: The Rise and Fall of Prohibition. New York: Scribner, 2010. Print. Page 213
- ^ Shay, "Ten Best Cocktails of 1934", Esquire Vol. 2, December 1934, p. 40
- ^ a b Grimes, "Bar, What Bar?", The New York Times, 2 June 2009
- ^ Okrent, Daniel. Last Call: The Rise and Fall of Prohibition. New York: Scribner, 2010. Print. Page 210
- ^ “Dick & Christa Hughes bring Speakeasy Sundays to the Sydney Opera House”. Media Release. Sydney Opera House (2010年6月24日). 2013年5月24日閲覧。
- ^ Diamond (2012年1月12日). “Jazz Age Comes to London”. Culture Compass. 2013年5月24日閲覧。
- ^ Sweeny, Caitlin. "Remains of Speakeasy found in Cyber Cafe parking lot" April 17, 2007. Pipe Dream : Binghamton University. June 2, 2012.
- ^ Okrent, Daniel. Last Call: The Rise and Fall of Prohibition. New York: Scribner, 2010. Print. Page 208.
- ^ Okrent, Daniel. Last Call: The Rise and Fall of Prohibition. New York: Scribner, 2010. Print. Page 208-209
- ^ Okrent, Daniel. Last Call: The Rise and Fall of Prohibition. New York: Scribner, 2010. Print. Page 209
- ^ “Beer Flat explain”. The Maryville Daily Forum: pp. 8. (1928年12月12日) 2024年12月20日閲覧。
参考文献
- Britten, Loretta & Math, Paul, eds. Our American Century Jazz Age: The 20s. New York: Time-Life Books, 1998. New York: Bishop Books Inc., 1969. ISBN 0-7835-5509-1.
- Kahn, Gordon & Hirschfeld, Al. The Speakeasies of 1932. New York: Glenn Young Books, (1932, rev. 2003). ISBN 1-55783-518-7.
- Streissguth, Thomas. The Dry Years: The Roaring Twenties. Encyclopedia. 2007 ed. Washington, DC: Facts On File, Inc. ISBN 0-8160-6423-7.
外部リンク
- Galperina, Marina. "The Museum of the American Gangster Opens Doors of Former Speakeasy in March". February 19, 2010. Animal New York. 25 March 2010. (リンク切れ)
- Speakeasy Music of the 1920s(1920年代のスピークイージー音楽) - YouTube
- What is Speakeasy スピークイージーの歴史 2024年2月3日
- スピークイージーのページへのリンク