ジョシュア・レノルズとは? わかりやすく解説

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ジョシュア・レノルズ

(ジョシュア・レイノルズ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/04 04:44 UTC 版)

ジョシュア・レノルズ
Joshua Reynolds
ジョシュア・レノルズの『自画像』
1776年 ウフィツィ美術館所蔵
生誕 (1723-07-16) 1723年7月16日
グレートブリテン王国デヴォン州プリンプトン
死没 1792年2月23日(1792-02-23)(68歳没)
グレートブリテン王国ロンドン
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サージョシュア・レノルズSir Joshua Reynolds, 1723年7月16日 - 1792年2月23日)は、ロココ期のイギリス画家ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツの初代会長を務めた。

生涯

1723年7月16日、聖職者サミュエル・レノルズ(Samuel Reynolds)の第7子として、イングランド南東部デヴォン州プリンプトン英語版に生まれる[1]。父親が地元のグラマースクールの校長であったため、父親から教育を受けた[1]。1740年から1743年まで肖像画家のトマス・ハドソンの元で修業した[1]

1749年オーガスタス・ケッペルと知り合い、戦列艦センチュリオンに乗船する[2]。同年より1752年にかけてイタリアに学び、ラファエロなどの古典を熱心に研究した[1]。しかしローマにいる間に病気になり、回復したものの聴覚の一部を失ってしまう[1]

サミュエル・ジョンソンと親交が深く、1764年2月にロンドンソーホー地区にある食堂でジョンソンを中心として「ザ・クラブ」を創設し、エドマンド・バークオリヴァー・ゴールドスミスらと毎週夜の7時に集まり夜がふけるまで議論を交わした。当時ジョンソンから「人は友情を常に修復し続けなければならない。新しい友人を作らなければ、最終的には独りだ」と箴言を授けられた。

1768年12月にロイヤル・アカデミーが創設されるとその初代会長となり、実作のみならず絵画の理論家としても大きな役割を果たした[1]。1769年4月には騎士爵に叙された。歴史画振興を目的として、『講話』(1769年~1770年)を出版。レノルズは、ラファエロのような古典絵画の巨匠の様式(グランド・マナー)を重視し、聖人・神話・歴史上の事件などを扱った「歴史画」を絵画ジャンルの首位に置いた。肖像画の制作にあたってもモデルを宗教的・歴史的道具立てのなかで理想化して描いた。

1784年にアラン・ラムゼイが亡くなると、主席宮廷画家となる[1]。1789年に左目の視力を失い、1790年にリタイアを余儀なくされる[1]

フィリップ・ジェイムズ・ド・ラウザーバーグが作成したミニチュア機械劇場エイドフュージコンを高く評価した[3]

彼の残した名言の一つに「君が偉大な才能を持っているならば、勤勉がそれにみがきをかけるだろう。君がふつうの能力しか持っていないなら、勤勉がその不足を補うだろう。(If you have great talents, industry will improve them; if you have but moderate abilities, industry will supply their deficiency.)」がある。

評価

保守的でアカデミックな制作態度、および「ロイヤル・アカデミーの初代会長」という肩書きから、権威におもねった旧弊な画家として、21世紀の今日においては否定的に評価されがちだが、長年独自の美術の伝統を築けずにいたイギリスにおいて、職業人としての画家の地位を確立した功績は大きい。特に『マスター・ヘア』、『キャロライン・ハワード嬢』などの、愛らしい子どもの肖像画には、レノルズの本領が現われているといえる。

代表作

ギャラリー

出典

  1. ^ a b c d e f g h Chisholm, Hugh, ed. (1911). “Reynolds, Sir Joshua” . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 23 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 227–229.
  2. ^ {{Cite book2|language=en|last=McIntyre|first=Ian , Joshua Reynolds. The Life and Times of the First President of the Royal Academy (London: Allen Lane, 2003), p. 39.
  3. ^ 藤田治彦『ターナー』六輝社、2001年2月。 ISBN 4-89737-387-5 

外部リンク

宮廷職
先代
アラン・ラムゼイ
主席宮廷画家
1784年 – 1792年
次代
サー・トーマス・ローレンス
文化
新設 王立芸術院院長
1768年 – 1792年
次代
ベンジャミン・ウエスト




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