ジャズ・ロフト・プロジェクト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 00:19 UTC 版)
「ユージン・スミス」の記事における「ジャズ・ロフト・プロジェクト」の解説
1957年、ユージンは妻のカーメンと4人の子供をニューヨーク州ウェストチェスター郡に残し、マンハッタン6番街のロフトに移り住む。そこでトランペッターのディック・ケアリー(Dick Cary)やピアニストのホール・オーヴァートン(Hall Overton)らと暮らし始めた。ロフトではセロニアス・モンク、ズート・シムズ、ローランド・カーク、カーラ・ブレイ、ロニー・フリーらによるジャムセッションが連日連夜繰り広げられた。ユージンは同年から1965年にかけて演奏をオープンリールで録音し続けた。このときの録音テープとユージンが撮った写真はのちに映画にまとめられた(後述)。 1961年、日立製作所のPR写真撮影のために来日。 1970年8月、51歳のときにニューヨークのマンハッタンにあるロフトでアイリーン・スプレイグ(のちの妻となるアイリーン・美緒子・スミス)と出会う。富士フイルムのCMでのユージンへのインタビューで、アイリーンが通訳を務めた。当時20歳のアイリーンは、母親は日本人で父親はアメリカ人。東京育ちで11歳のとき渡米し、当時はカリフォルニアのスタンフォード大学の学生であった。出会ってわずか1週間後に、ユージンはアイリーンに自分のアシスタントになり、ニューヨークで同居するよう頼む。アイリーンは承諾しそのまま大学を中退、カリフォルニアには戻らずユージンと暮らしはじめた。
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