ジム・クラークの活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 03:48 UTC 版)
「チーム・ロータス」の記事における「ジム・クラークの活躍」の解説
1962年には、バスタブ型のモノコック構造を初めて取り入れた25を駆った新鋭のジム・クラークが、9戦中6回のポールポジション、3度の優勝という活躍を見せた。この年はマシンの熟成が進んでいなかったために、BRMのグラハム・ヒルにチャンピオンを奪われるが、翌1963年になると、10戦中7回のポールポジション、7勝で開幕戦モナコGP以外は全て表彰台という圧倒的な強さで初のチャンピオンに輝く。同時にロータスも初のコンストラクターズチャンピオンを獲得した。 1964年はシーズン中盤のドイツGPから投入した33の信頼性が低かったことでリタイアを繰り返した。それでもクラークはフェラーリのジョン・サーティースとチャンピオンを争い、最終戦メキシコGPでも最終ラップまでトップを走行し、2年連続チャンピオンはほぼ決定と思われていたが、ここでオイルパイプのトラブルでストップしてしまい、惜しくもチャンピオンを逃してしまった。 1965年はクラークとロータスがグランプリ界を席巻した年となった。何と開幕戦南アフリカGPから第7戦ドイツGPまで、インディ500に出場する為に欠場した第2戦モナコGPを除く全てのレースで優勝を果たし、3戦を残してチャンピオンが決定した。クラークはロータスとともに出場したインディ500でも優勝を果たした。
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