ジミー・チュウとは? わかりやすく解説

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ジミー・チュウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/22 08:15 UTC 版)

Yang Berbahagia, Datuk

ジミー・チュウ
Jimmy Choo
周 仰傑

PJN, DIMP, DSPN, OBE
レッド・ドット・デザイン賞にて2016年に審査員をつとめた際のジミー・チュウ
生誕 Jimmy Choo Yeang Keat
(1948-11-15) 1948年11月15日(76歳)
イギリス領マラヤペナン州ジョージタウン
出身校 コードウェイナーズ・テクニカル・カレッジ
職業 ファッションデザイナー
子供 ダニー・チュウ他1名
中国語
繁体字 周仰傑
簡体字 周仰杰
発音記号
標準中国語
漢語拼音 Zhōu Yǎngjié
粤語
粤拼 Zau1 Joeng5 Git6
閩南語
閩南語白話字 Chiu Gióng-kia̍t
台湾語ローマ字 Tsiu Gióng-kia̍t

ジミー・チュウ(Datuk Jimmy Choo Yeang Keat PJN DIMP DSPN OBE[1]、 1948年11月15日-[2])はイギリスで活動するマレーシアファッションデザイナーである。ジミーチュウ社の共同設立者であり、手製の女性靴でよく知られている。

生い立ち

ジミー・チュウは1948年にイギリス領マラヤの直轄植民地であるペナンジョージタウンで靴屋の息子として生まれた。中国系であり、姓は「周」("Chow"、チョウ) であるが、出生証明書に誤って "Choo"(チュー)と記載されている。祖籍は梅県区の客家人である。父は全ての工程を手作りする靴職人で、靴作りを息子に教えており、ジミー・チュウは「両親は靴職人で父の後を継ぎました。父に触発されたんです」と述べている[3]。11歳の時に初めての靴としてスリッパを1足作った[4][5][6]

1982年から1984年まで、チュウはロンドンのハックニーにあるコードウェイナーズ・テクニカル・カレッジ(現在はロンドン・カレッジ・オブ・ファッションの一部)で学んだ[7]。卒業後はマレーシアに帰るよりもずっとロンドンにいることを希望し、デザイン会社で働くようになった[5]

キャリア

カレッジを卒業後、チュウは自分の事業を始める前にデザイン会社で働いた。チュウは最初はプリンスィズ・トラストの支援で仕事を始め、両親は起業を助けるためにイギリスに移民してきた。1986年に古い病院の建物を借りて最初の店を開いた。その技術とデザインは1988年にはロンドン・コレクションで注目されることとなった。チュウが作った靴がお披露目された後、『ヴォーグ』は8ページにわたる見開きで特集を行った。チュウによると、『ヴォーグ』で報道された後に自らのデザインが相当な人気を博すようになったという[5]。1990年代初頭にダイアナ妃御用達になったことも人気強化につながった[5]。2009年にも、チュウは自らのブランドがダイアナ妃のお気に入りだったことを述べている[8]

1996年にチュウは『ヴォーグ』英国版のアクセサリー担当編集者であったタマラ・メロンとともにジミーチュウ社を設立した[9]。2001年4月にチュウは一千万ポンドで会社の株の50%を売却した[9]。それ以来、チュウはジミーチュウ社のライセンスで販売されるジミーチュウクチュールの業務に専念している[10]

2012年のTEDxShanghaiに参加した際のチュウ

受賞・栄典

受賞

マレーシアにおける叙勲

  •  マレーシア  Commander of the Order of Meritorious Service (PJN) – Datuk (2013)[14]
  •  ペナン州  Officer of the Order of the Defender of State (DSPN) – Dato' (2004)[15]

イギリスにおける叙勲

脚注

  1. ^ “Back from London to receive award”. AllMalaysia.info. (2004年8月27日). オリジナルの2005年12月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20051211023628/http://allmalaysia.info/news/story.asp?file=/2004/8/27/msiansabroad/8754161&sec=mi_msiansabroad 
  2. ^ Newsmakers (2006) Gale Biography In Context, Detroit
  3. ^ Goldstein Crowe, Laura; Maceira de Rosen, Sagra (2009). The Towering World of Jimmy OP. A Glamorous Story of Power, Profits, and the Pursuit of the Perfect Shoe. New York, Berlin, London: Bloomsbury. p. 13. ISBN 978-1-59691-391-2 
  4. ^ The Jimmy Choo connection”. 2015年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月18日閲覧。
  5. ^ a b c d “How boy from Penang became shoemaker of choice for British royals” (英語). South China Morning Post. https://www.scmp.com/news/hong-kong/community/article/2153979/jimmy-choo-how-boy-penang-malaysia-became-shoemaker-choice 2018年7月11日閲覧。 
  6. ^ a b Jimmy Choo Honoured”. British Vogue. 2023年10月4日閲覧。
  7. ^ London College of Fashion (formerly Cordwainers College) – Jimmy Choo OBE”. Association of Colleges. 2018年4月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月4日閲覧。
  8. ^ Moss, Hilary (2009年11月9日). “Jimmy Choo: I was Princess Diana's Shoemaker”. Huffington Post. http://www.huffingtonpost.com/2009/11/09/jimmy-choo-i-was-princess_n_350726.html 2012年12月10日閲覧。 
  9. ^ a b Solomon, Michael. “Luxury Lineage: A Brief History of Jimmy Choo” (英語). Forbes. https://www.forbes.com/sites/msolomon/2017/08/15/luxury-lineage-a-brief-history-of-jimmy-choo/#5470d75e3a2e 2018年7月11日閲覧。 
  10. ^ Jimmy Choo finds right fit with sole couture line” (英語). GMA News Online (2014年4月21日). 2018年7月11日閲覧。
  11. ^ ELLE meets Jimmy Choo” (英語). ELLE (2009年11月13日). 2023年12月16日閲覧。
  12. ^ UAL Honorary Fellows and Doctorates”. arts.ac.uk. 2012年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月5日閲覧。
  13. ^ Red Dot Design Award: Icon of the fashion world: Dato' Professor Jimmy Choo debuts as a red dot juror in 2013”. en.red-dot.org. 2018年4月5日閲覧。
  14. ^ Michelle Yeoh, Jimmy Choo, Zang Toi Antara Penerima Pingat” (マレー語). mStar (2013年6月1日). 2023年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年11月2日閲覧。
  15. ^ Penang Yang di-Pertua Negeri's birthday honours list TheStar.com.my, 10 July 2004
  16. ^ JCA 3.0”. www.jca.ac.uk. 2023年12月16日閲覧。

関連文献

外部リンク


ジミーチュウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/05 05:37 UTC 版)

ジミーチュウ」(JIMMY CHOO)は、マレーシア出身の職人ジミー・チュウイギリス版『ヴォーグ』誌の編集者タマラ・メロンの共同創始による、1996年設立のイギリス発のファッションブランド[1]。高級婦人靴やバッグをはじめ、サイフサングラスなどの製品を展開、大英帝国勲章や数多のファッション賞を受けてきたほか、ダイアナ元皇太子妃など世界中のセレブリティに愛好されてきたことからも著名で、テレビドラマや映画などにも多く登場している[2]官能的でファッション性の高いデザイン、卓越したイタリアのクラフツマンシップは洗練された女性から支持を得て、ファースト・コレクションはたちまち成功、絶賛された。世界的なラグジュアリービジネスを創り上げるという目標のもと、ジミー チュウは外部からの投資を受けることで、製品のカテゴリー、チャネル、そして流通地域など大幅な拡張に着手した。

セレブリティ・ファッションの代名詞でもあるジミー チュウは、いち早くレッドカーペットの常連となったブランドのひとつである。華やかな女優陣がジミー チュウのシューズやバッグを着用して優雅に歩くレッドカーペットは、この上なく絶好のランウェイと言えるだろう。現在ではセレブリティからロイヤルファミリー、ミュージシャン、ファーストレディまで、多くのスタイルアイコンに愛されている[3]

2009年に発売したスタースタッズシリーズが世界で大ヒットし一躍有名となり、靴売り場の定番的な存在となった[4]

チーフクリエイティブオフィサーを務めていたメロンが2011年に退任。現在は、チュウ氏のにあたるサンドラ・チョイがクリエイティブディレクターを務めている。[5]

「ジミーチュウ」の靴(2005年)

来歴

  • 1996年 - 創業。株式を50/50でジミーと出資者トム・イヤーダイが保有する会社で、トムはCEO及び取締役会長、タマラが代表取締役社長に就任。
  • 2007年 - タワーブルック社が「ジミー・チュウ Ltd.」を買収。
  • 2011年 - ドイツのラベルクス・グループが買収。

ジミー・チュウ

創始者のジミー・チュウ(Jimmy Choo)は、1954年11月15日マレーシアジョージタウン生まれ[6]。実家は靴工房であった。1963年に初めて靴を制作。1983年にイギリスのコードウェイナーズ・テクニカル・カレッジ(旧:レザー・トレード・スクール)を卒業。1996年、タマラ・メロンとともに「ジミーチュウ」を設立した。 会社設立は1996年、ジミー・チュウ氏の姪にあたるサンドラ・チョイは、イーストエンドのアトリエ時代からデザインを任され、クリエイティブ・ディレクターとして事業に参画、現在もそのポジションに就いている。ジミー・チュウ氏は2001年にブランドから離れた。[7]

関連項目

将来アートやデザインなどクリエイティブ分野への進学を目指す16歳以上の英国人及び世界各国の学生を対象とする世界唯一の芸術専科の寄宿制(ボーディングスクールインターナショナルスクールで、2009年欧州最大の芸術大学であるロンドン芸術大学(University of the Arts London)の付属校として設立。

ジミー・チュウが設立時の名誉校長に就任。

出典

  1. ^ ジミーチュウとは > ジミーチュウ【JIMMY CHOO】』 2010年 講談社『世界の一流ブランドがわかる事典』 コトバンク
  2. ^ ジミー チュウについて - About Jimmy Choo』 2013年5月15日 Fashionsnap.com
  3. ^ ジミー チュウについて”. Jimmy choo. 2025年3月24日閲覧。
  4. ^ JIMMY CHOO”. 繊研新聞社. 2025年3月24日閲覧。
  5. ^ JIMMY CHOO”. 繊研新聞社. 2025-03-024閲覧。 エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。
  6. ^ 11月15日はシューズデザイナーのジミー・チュウの誕生日です』 2013年11月15日 FASHION HEADLINE
  7. ^ ジミー チュウについて”. Jimmy choo. 2025年3月24日閲覧。

外部リンク




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