ジェイ・ラーキンの時代
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「アメリカ合衆国のボクシング中継」の記事における「ジェイ・ラーキンの時代」の解説
Showtimeで初めて中継されたのは1986年3月のマービン・ハグラー対ジョン・ムガビ戦で、これはShowtime初のスポーツ番組であった。番組責任者のジェイ・ラーキンはこの後、マイク・タイソン、イベンダー・ホリフィールド、フリオ・セサール・チャベスらと契約。世界各国から試合を中継し、ボクシング中継におけるHBOの独裁状態に挑戦し続けてきた。1990年代はドン・キング・プロダクションのお抱え放送局的な存在で、1993年にはメキシコシティのエスタディオ・アステカからドン・キングの契約するチャベスとグレグ・ホーゲンの対戦を中継。この時の13万2000人を超える観客動員は空前絶後の記録となっている。ラーキンと当時HBOの番組責任者だったルー・ディベラは良好な関係にあり、週に数回話をして互いに先を越されないようにしていたという。2002年6月のレノックス・ルイス対マイク・タイソン戦では、ルイスの放映権はHBO、タイソンの放映権はShowtimeにあったが、ラーキンの交渉により両局共同でPPV中継することになり、試合開始時のリングアナウンスではルイスの紹介をHBOのマイケル・バッファー、タイソンの紹介をShowtimeのジミー・レノン・ジュニアが担当し、ルイスの勝者コールはバッファーが行った。 番組責任者は2003年10月、ラーキンからケン・ハーシュマンに交代するが、ラーキンはハーシュマンに対し、物事が本当に困難で何もうまくいっていないように見える時に「まさにボクシングのテレビ中継だ」と言っていたことで知られている。また、デトロイトで行われたマイク・タイソン対アンドリュー・ゴロタ戦で、ゴロタがリングから控室に走って戻った時には、ラーキンがゴロタに向かって、リングに戻らないとShowtimeでは二度と中継しないぞと叱り飛ばす声が部屋の外まで聞こえたという逸話がある。
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