シードル工場時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/07 04:27 UTC 版)
朝日シードルが生産されていた頃の様子は次のとおりである。A棟(3棟のうち中央に位置する建物) 1階北側には手前から清澄室、冷却室、ろ過室が設けられ、清澄室とろ過室には1基ずつ遠心分離機が置かれていた。一番奥のろ過室の床には汚れたらすぐ洗えるようタイル貼りの仕上げであった。また棟の南側では洗瓶やパストライザーによる殺菌、ラベル貼りや検品、箱詰め作業が行われていた。 2階には瓶詰機、従業員が開発した搾汁機、事務室、アルコール分や発酵の進み具合などの分析を行う研究室、培養室や薬品庫などが設けられていた。 B棟(A棟とL型に棟続きになっている建物) 1階は貯蔵室として使用され、26000リットルのタンクが48本、29000リットルのタンクが50本、計98本設置されていた。2階は資材倉庫として、段ボールなどがしまわれていた。 C棟(3棟のうち北側に位置する建物) 手前には乾燥機が設置され、搾汁したリンゴ滓を乾燥させていた。 奥にはアンモニア冷凍機が設置され、アンモニアを圧縮していた。アンモニアが蒸発する際の気化熱によって冷やされたブライン液は、シードルの冷却や貯蔵室の温度を下げるために利用された。 その他 A棟の手前にはりんご洗浄室、C棟の手前にはボイラー室と発酵室があった(いずれも現存しない)。 シードルを生産していた頃は現存する建物以外にもいくつかの建物が存在したが、昭和50年(1970年)にほとんどが取り壊された。
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