シングル制作の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 23:03 UTC 版)
ディレクターの長岡和弘は、前作「夢番地一丁目」でのノスタルジックなサウンドの完成度に自信を持ち、次のシングルとして同じ路線上にある「懐かしきリフレイン」を制作した。ところが、綿密なディレクションにもかかわらず、完成したトラックはシングル曲としてのインパクトが弱く感じられ、採用を躊躇してしまう(結局「まちぶせ」のB面に収録される)。 打開策を模索すべく、過去にキャニオンから発売されたアイドルのシングルを研究する中で、石川と同じ事務所に所属していた三木のシングル曲「まちぶせ」のカバーを発案した。デビュー前に在籍した東京音楽学院名古屋校で、講師から本曲を課題曲として与えられ毎日歌っていたという石川は、仮歌を録音時に「この歌大好きだったんですよー、これシングルになりませんかねぇ」と発言し、いつになく積極的な石川の発言に自信を深めた長岡は、シングル発売を本格的に進めた。 過去に小ヒットに終わった楽曲のカバーについて、社内の制作会議など周囲から多くの反対意見を受けたものの、各方面への度重なる説得を経て、発売にこぎつけた。 三木の時と同じくアレンジは松任谷正隆が担当し、「前回と同じようにやりたい」とのディレクターの要望から、同様のアレンジが組まれた。歌入れ時の様子を石川は、「詞の内容が自分の経験そのままで思い入れは強かったです。録音中もなんか違うんですよ、背中のあたりが。その感覚は後にも先にもこのときだけでしたね」と後に語っている。
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