シレトコ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:18 UTC 版)
「シレトコ」の地名が文献記録に現れるのは江戸時代からである。「シレトコ」は、現在の知床半島全体を指すものではなく、その先端に当たる知床岬周辺を指していたとされ、山田秀三は知床岬南西の啓吉湾周辺(集落があった)を指す地名であったとしている。 山田秀三によれば、「シレトコ」という地名はアイヌ語の「シㇼ・エトㇰ」sir-etok (地(の)・突端)から来ているという。sirは「陸地」や「山」、etokは「突端部」「突出部」を意味する語であり、etokの所属形である etoko の形を取った「シㇼ・エトコ」sir-etoko (地の突端)とも解される。 上原熊次郎は『蝦夷地名考并里程記』(1824年)で「シレトコ」を「嶋の果て」と訳した。これをもとに「知床」は「地の果て」の意味とする解釈も流布している。ただし「地の果て」とする語釈には「少々ロマンチックな説明」と抵抗感が示されたり、あるいははっきり「間違い」という指摘がなされたりしている。アイヌ民族には太陽が昇って来る方向である東を重んじる思想を有していたという観点、オホーツク文化など北方からやって来る文化に接触する「入口」であったという観点から、「果て」の語が含むイメージに疑義を呈するものである。山田秀三はシレトコに「モシリ・パ」(国の頭)という別名もあったと記している。 このほか「シレトコ」という地名の語源について、萱野茂は「シリエド」sir-etu(地の鼻、陸地の先っぽ)と解した。
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シレトコ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 04:33 UTC 版)
旧帝国海軍知床型給油艦一番艦・知床を模した形状の補給艦。メンタルモデルの有無は不明。
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