ショーショーニー族の戦闘準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 01:44 UTC 版)
「ベア川の虐殺」の記事における「ショーショーニー族の戦闘準備」の解説
ショーショーニー族はコナー大佐の部隊と衝突する可能性を考慮し、幾らかの下準備を行った。その大半は上記リッチモンドの住人との出来事に近いやり方で、周辺のモルモン教徒入植者達から食料を集めることだった。 攻撃のときにショーショーニー族が持っていた武器の大半は、様々な小競り合いで入手したもの、毛皮罠猟師、白人入植者達および他のインディアン部族と交易したもの、あるいは単に長年にわたって世代を超えて受け継いだ骨董品だった。明らかにそれらはアメリカ軍がカリフォルニア志願兵隊の兵士達に発給していた銃と比べて標準化されてもいないし、作りも好くないものだった。 ベアハンターとその他のショーショーニー族酋長達は、まず一般的に守りやすい陣地を選ぶことに加えて、その宿営地周囲に防御的な手配を行った。ヤナギの枝を編んで即席の遮蔽物にし、ショーショーニー族の陣地やその勢力を隠した。またビーバー・クリーク東岸やベア川沿いには一連の「射撃壕」を掘った。 おそらく最も皮肉なことは、キニー判事から逮捕令状が発行されていたサンピッチ酋長(逮捕令状で名指しされていた)が、北西部ショーショーニー族のために休戦交渉を行う目的でソルトレイクシティに居たことだった。「サクラメント・ユニオン」の通信員は、「予言者(ブリガム・ヤングのこと)がサンピッチに、モルモン教徒はキャッシュ・バレーのショーショーニー族から十分に痛い目に遭っており、さらに多くの血が流されるならば、モルモン教徒はアメリカ軍の「立場に立ち」彼等を助けるだろうと伝えた」と報告した。 コナーが戦闘に参加させる兵士の数を隠そうという偽装は成功したように見えたが、ショーショーニー族はこれらの兵士達と直接武装闘争に及ぶことすら予測していなかった。その替わりに、交渉による決着の準備をし、酋長達がアメリカ軍の士官達と話し合って、理解に達することができると考えていた。
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