サン・コスメ門とベレン門への攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 16:26 UTC 版)
「メキシコシティの戦い」の記事における「サン・コスメ門とベレン門への攻撃」の解説
クイットマン師団は、メキシコ軍テレス将軍とガレイ大佐が3門の大砲で守る「ベレン門」に向かってベレン舗道を下り、一方ワース師団は、メキシコ軍のランゲル将軍の歩兵旅団(グラナデロス大隊、第1軽連隊、第3系連隊の一部(エチェガレイ中佐))が3門の大砲と榴弾砲で守るさらに北の「サン・コスメ門」に向かってベロニカ舗道を進んだ。クイットマン隊は単にシティに対する陽動攻撃を意図されていたが、その全師団を前進させて守備陣を突破させた。サンタ・アナは怒りに任せてベレン門に到着し、前線指揮官を解任した。 一方ワース師団はメキシコ軍騎兵隊の攻撃を撃退した後でメキシコ軍に対しては緩りとした出発になった。ワースがサン・コスメ門に到着した時、メキシコ軍守備隊の準備が不十分であることが分かったが、メキシコ軍守備隊はその門が落ちるまでにかなり善戦した。ユリシーズ・グラント中尉がワース隊前面の舗道に沿って活路を見出し、近くの教会の鐘楼に大砲を運び上げることに貢献した。この地点からグラントは下の守備隊を砲撃した。 戦闘が全ての前線で下火になり、両方の門が落ちた時、メキシコ軍は市内に後退した。メキシコ軍が守っていた他の門としては、M・マルティネス将軍と大砲10門のサン・アントニオ門、国防軍と大砲2門のニーノ・ペルディド門、および小さな歩兵派遣部隊に守られていたサン・ラザト、グアダルーペ、ビレホの各門があった。
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