サクスビー・アンド・ファーマー社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/31 14:43 UTC 版)
「ジョン・サクスビー」の記事における「サクスビー・アンド・ファーマー社」の解説
1861年にサクスビーは鉄道を退職して、ヘイワーズ・ヒース(英語版)において信号装置を製作する自身の事業を立ち上げた。翌年、ロンドン・ブライトン・アンド・サウス・コースト鉄道で管理者助手を務めていたジョン・スティンソン・ファーマーが共同経営者として加わった。サクスビー・アンド・ファーマー社は鉄道信号設備の指導的製造業者となり、ロンドンのキルバーン(英語版)に工場を立ち上げ、最終的に3,000人の労働者を雇うようになった。会社は他にブリュッセルにも工場を設立した。 1868年に会社は世界で最初の道路用の交通信号機をサウス・イースタン鉄道の技術者ジョン・ピーク・ナイト(英語版)の設計に基づいて製作し、ロンドンのジョージ・ストリートに設置した。 1875年には、各車両のブレーキをつないでより強力なブレーキ力が得られるようになる、最初の機械式ブレーキを発売した。サクスビーの息子のジェームズはパリ近郊のクレイユに1878年に信号機工場を設立した。1860年代から1880年代にかけて、サクスビー・アンド・ファーマー社は鉄道信号設備の製造において独占的な存在であった。会社が供給した設備の多くは、20世紀の大半の期間にわたって使われ続けた。
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