コンスタンティン・リソフスキーとは? わかりやすく解説

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コンスタンティン・リソフスキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/28 20:44 UTC 版)

コンスタンティン・パヴロヴィチ・
リソフスキー
出生名 Константин Павлович Лисовский
生誕 (1932-10-22) 1932年10月22日
ソビエト連邦
ロシア社会主義連邦ソビエト共和国レニングラード
死没 (2023-10-04) 2023年10月4日(90歳没)
学歴 グネーシン音楽大学
ジャンル クラシック
職業 歌手、音楽教師
共同作業者 アレクサンドロフ・アンサンブル
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コンスタンティン・パヴロヴィチ・リソフスキーロシア語: Константин Павлович Лисовский, ラテン文字転写: Konstantin Pavlovich Lisovskii, 1932年10月22日 - 2023年10月4日)は、ソビエト連邦ロシアテノール歌手、音楽教師。ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国人民芸術家1983年授与)。

概要

レニングラードに生まれる。1951年にバラノフ記念航空学校を卒業し、工場で勤務する。1953年、歌手を志して受けたモスクワ音楽院附属音楽学校の試験に合格し、以降3年間同校で学ぶ。勉学と並行して1954年からはアレクサンドロフ・アンサンブルに所属、頭角を現しソリストに抜擢され、海外公演や録音に活躍している。モスクワ音楽院附属音楽学校に続き、グネーシン音楽教育大学でも研鑽を積み、こちらは1967年に卒業している。同時期に音楽コンクールへ出場、1965年のグリンカ・コンクールでは6位入賞、翌1966年チャイコフスキー国際コンクールでは3位に入賞した。グリンカ・コンクールに入賞した1965年からモスクワ・フィルハーモニー協会のソリストに迎えられ、1997年までの30年以上にわたり活躍した。

1979年に母校であるグネーシン音楽教育大学で声楽指導を始め、1998年教授に昇格している。晩年は教授職の傍ら、アレクサンドロフ・アンサンブルのソリストの歌唱指導も務めていた。

2023年10月4日に死去したことが、娘で女優のヤニーナ・リソフスカヤのフェイスブックで伝えられ、10月10日トロエクロフスコエ墓地に埋葬された。

主な録音

以下はメロディア録音。

オペラ
その他
  • ロシア民謡、ロマンス、ソヴィエト大衆歌曲など(アレクサンドロフ・アンサンブル、ソ連国防省吹奏楽団などのソリストとしての録音 他)

外部リンク

参考文献




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