コルネット奏者としての軌跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 15:49 UTC 版)
「渡部康三」の記事における「コルネット奏者としての軌跡」の解説
東京音楽学校に入学するも、当時は楽器別の専攻制度は確立されておらず、「器楽部」所属とのみ記録されている。音楽学校での管楽器の教育も完備されておらず、実技の殆どは陸海軍軍楽隊などに赴いて習得したものと思われる。 1901年(明治34年)3月31日に奏楽堂で行なわれた瀧廉太郎渡欧送別演奏会で、当日唯一の管楽器奏者として出演し、フランツ・アプト作曲「森の朝」(原曲特定不可能・声楽曲からの編曲か)を演奏した。 また、卒業後の1904年12月には「吊祭会兼月次演奏会」でベートーヴェン「エグモント」の一部を演奏した記録もあるが、どの部分かは明らかでない。その後は音楽家としての活動は行なっていない。なお、在学中はアウグスト・ユンケル指揮のオーケストラでコルネットのみならずトランペットも演奏していたが、個人名を明記した演奏記録は、上記以外にはない。
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