コラムシフトのシャフト折れ多発と対策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 14:27 UTC 版)
「プリンス・セダン」の記事における「コラムシフトのシャフト折れ多発と対策」の解説
1952年(昭和27年)10月に、後にスカイラインの開発責任者となる桜井眞一郎がたま自動車に入社したが、最初に上司(設計課長代理)の日村卓也から命ぜられた仕事は、プリンス・セダンのコラムシフトのシャフトの設計変更だった。 その頃、プリンス・セダンのコラムシフトのシャフトが折れる不具合が多発していた。 日村は、折れるのは強度不足のせいだから、シャフトを太くすればいいと主張し、新人で部下の桜井は、細くしてしなりを持たせればいいと主張。 両者は譲らなかった。上下関係が現在よりも厳格であった当時においては、課長代理と新人では当然後者が引き下がるべきところではあったが、桜井は、自分で分析して出した結論に自信を持っていたので、もし自分が間違っていたのならクビになってもいいやと開き直ることにし、細い対策品を作って試したところ、ピタリとシャフト折れの不具合は止んだ。 これにより、元々桜井を「将来モノになるだろう」とふんでいた日村は、益々桜井を認めるようになったという。 桜井は生前、プリンス時代の最も尊敬する上司として、中川良一と、日村の二名を挙げていた。
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